新潟市江南区沢海(そうみ)に佇む北方文化博物館は、
越後随一の豪農・伊藤家の旧邸宅を保存・公開した私立博物館です。
広大な屋敷と庭園、美術品の数々が訪れる人を魅了しますが、 何より
心に残るのは、そこに込められた人々の祈りと絆です。
伊藤家は江戸中期に農業で身を起こし、代々の努力によって大地主へと成長。
戦後の農地改革で土地の多くを手放すも、「文化を未来へ残したい」との
想いから、 自邸を博物館として一般公開したそうです。
中でも注目したいのが、庭に築かれた築山(つきやま)。
パワースポットとして知られるこの小さな山には、 伊藤家と地域の人々が
共に乗り越えた苦難の記憶が宿っています。
ある年、新潟地方が何年も続く大飢饉に見舞われました。
伊藤家は蓄えで何とか暮らしていましたが、周囲のご近所は食べるものもなく、
一家心中に至る恐れさえある状況だったそうです。
そこで伊藤家は「働く場を作ろう」と庭に築山の造営を決意。
ご近所の人々に築山を作ってもらうことにしました。
重機を使えば数時間でできるような小さな築山ですが、 道具は使わず、
離れた場所から素手で土を運ぶという方法を選んだのです。
このやり方には単に仕事を生み出すだけでなく、「施し」ではなく
「働く場」を提供するという、相手の尊厳に配慮した想いが込められていました。
お金を直接配るのではなく、自らの力で働き、報酬を得る── その経験が人々
の誇りとなり、生きる力を取り戻すきっかけになったのです。
おかげで、子どもも高齢者も皆が働くことができ、日当を得ることができました。
結果として、一家心中を免れた家もあったといいます。
人々は口々に、「あの時、伊藤家のおかげで一家心中せずに済んだ。伊藤家には
永く繁栄してほしい」 と語り継いだそうです。
だからこの築山は、ただの庭の一部ではありません。
人々の命をつなぎ、希望を灯した「祈りの山」なのです。
それを象徴するような出来事として、1964年の新潟地震では、
伊藤邸は瓦一枚落ちることなく耐え抜いたという伝説も残っています。
まるで、築山に込められた願いが家を守ったかのようです。
「伊藤家には永く栄えてほしい」 そんな言葉が、今も静かに語り継がれている
のではないでしょうか?
新潟へ訪れる機会があれば、ぜひこの祈りの庭に足を運んでみてください。



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