松下幸之助と学ぶ、困難の味方の作り方

成功者の中には、困難を糧に人生を切り開いた人が数多く存在します。

その象徴が松下幸之助さん。   

「経営の神様」と呼ばれる松下幸之助さん。

成功した理由を尋ねられた際、彼はこう答えたそうです。

① 家が貧しかった

松下幸之助はわずか9歳で丁稚奉公に出るという、

当時としても厳しい境遇にありました。

しかし、そこで学んだのは机上では得られない「商いの原理原則」でした。

お客様に喜んでもらうとはどういうことか。

それを体で覚えた経験が、後の「顧客第一主義」へとつながりました。

逆境の中で育まれたのは、挑戦する心と現場感覚でした。

② 頭が悪かった

松下氏は最終学歴が小学校卒。

社員に対しても「みんな私より賢い」と率直に語ったそうです。

しかし、それゆえに人を信じ、仕事を任せる力を身に付けました。

リーダーとして、部下を信頼する姿勢は、後のパナソニック成功の礎となりました。

学歴の不足は、信頼とチームの力で補う。

③ 体が弱かった

若い頃から体が弱く、現場に毎日足を運ぶことができませんでした。

その制約が、彼に「事業部制」という新しいマネジメント方法を

日本で初めて導入させるきっかけとなりました。

自分がいなくても動く組織を作る。

それが結果的に持続可能な経営を可能にしたのです。

「制約」は創造の種になる。

禍を福とする考え方

松下氏の人生は、表向きには「禍」と思える状況ばかりでした。

それでも彼は、それを嘆くのではなく前向きに捉え、新たな価値

を創造しました。

この姿勢こそ、多くの人が学ぶべき成功哲学と言えるでしょう。

私自身の試練

この話しを聞いた時、自分にも同じような体験が無かったか考えてみました。

すると30代の時の試練を思い出しました。

30代の頃、私は自分の不注意で1年間に2度も大きな怪我を負いました。

手術や入院が続き、その間、会社や家族に多大な迷惑をかけました。

昇進も大きく遅れ、当時は「自分の人生は失敗だ」と思うほど落ち込みました。

しかし、今振り返ると、あの試練があったお陰で、今の自分があると感じています。

怪我をきっかけに、家族や同僚の支えの大切さ、

そして「限られた時間をどう生きるか」の重要性に気づけたのです。

きっと皆さんにも、思い当たる様な経験はありませんか?

苦しくて、辛かったけど、今となっては笑い話!

もしその体験が無かったら、今どうなっていただろう?

きっと、その体験があなたを成長させたのではないでしょうか?

人生で超えられない壁は無い!

コメント

タイトルとURLをコピーしました