エルトゥールル号 友情を超える文化交流

本日は、トルコの軍艦「エルトゥールル号」とその後の感動の話です。

エルトゥールル号遭難事件

1890年、オスマン帝国(現在のトルコ)の軍艦エルトゥールル号が

明治天皇に親書を届けるために、609名の親善使節団が来日してました。

9月15日予定通り親書を届け、帰国のため横浜港を出航しました。

当時、日本政府は「台風が来ているので帰国を遅らせたほうがいい」と

伝えましたが、諸事情もあり出航したそうです。

しかし、事件は起きました。

エルトゥールル号は、和歌山県串本町沖で台風に遭遇し、約600名が犠牲となる

大惨事が発生しました。

その時、乗客の数名が命からがら、助けを求めました。

地元住民たちは、「大変な事が起きている!」と悟り、不眠不休で救助活動を行い、

69名の命を救いました。

この献身的な行動は、オスマン帝国に感銘を与え、両国の友情の土台となりました。

イラン・イラク戦争とトルコの恩返し

時が流れて1985年、イラン・イラク戦争の最中。

イラクのフセイン大統領は、イラン領空を「戦争空域」とし、

48時間以内イランを飛ぶ飛行機は安全だがその後は無差別に撃墜する」

と宣言しました。

当時、日本人216人がテヘランに在住しており、取り残されました。

世界各国は、自国民の救助のためすぐに動きました。

日本政府も、自衛隊機を送ろうとしましたが、海外に自衛隊を派遣する

ための法的制約があり、難航しました。

困った日本政府は、民間の飛行機会社に頼みましたが、「自衛隊も行けない

紛争地域になぜ民間機が?」となり、実現しませんでした。

絶対絶命の大ピンチです!

タイムリミットの48時間まで残り1時間! 

その時、トルコの特別機が、215名の日本人を救出してくれました。

タイムリミットの1時間前でした。

しかも驚くべきことにトルコ人は、自らは陸路で避難し、日本人のために

航空機を提供してくれたのです。

当時日本人は、「トルコが日本人を助けてくれたのか?」と不思議でした。

しかし当時の駐日トルコ大使曰く

私たちはエルトゥールル号で受けた恩を返しただけです

とても感動し、心に深く刻まれました。

友情の証:その後の交流

この事件以降、両国の友情はさらに深まり、現在も文化交流や

経済協力が盛んに行われています。

串本町にはエルトゥールル号の記念碑やトルコ記念館があり、

訪れる人々に歴史を伝えています。

また、2015年には映画「海難1890」が制作され、両国の絆を改めて

世に示しました。

日本人は誰も知らないのに、100年後に恩返しする国。

トルコではエルトゥールル号の話が、今も学校で教えているそうです。

教育って本当にすごいですね。

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